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芙蓉拒霜圖 呉昌碩 八十三歲作 |
中国の悠久の歴史の中、各王朝では、その時代ならではの芸術が花開きました。書画に限っても、書法はもちろん、山水画、花鳥画、文人画、宮廷画など、様々な芸術を今でも見ることができます。各時代にはその時代を代表する芸術家が登場し、数え切れないほどの至極の作品を残しています。そして、清末、一人の巨匠が登場します。それが呉昌碩です。
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呉昌碩のひ孫でもいらっしゃる講師の呉越先生 |
呉昌碩は、詩・書・画・印の分野で共に優れた作品を数多く残すと共に、当時の日本の芸術家と盛んに交流し、日本の芸術にも大きな影響を与えた人物の一人です。そのような、近代日中芸術交流の象徴的存在でもある呉昌碩の一生、そして、彼の作品を通じて、今の私たちは何を感じ取ることができるのか、をテーマに、今回、呉昌碩のひ孫でもいらっしゃる呉昌碩紀年館の執行館長の呉越先生に講演をしていただきました。講演当日、6月13日はとても暑い日でしたが、この講演を楽しみにしていたお客様がたくさんご来館してくださいました。
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熱心に講演を聴く皆さん |
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「児島虎次郎と呉昌碩展-文化交流のあと-」ポスター |
呉越先生はまず、呉昌碩の生涯と日本との交流について説明して下さいました。実は2014年が呉昌碩生誕170周年でもあり、一昨年、昨年、今年にかけて、日中各地で、生誕を記念した展覧会が数多く開催されました。その中には、日本の岡山県で開催された「児島虎次郎と呉昌碩展-文化交流のあと-」(高梁市成羽美術館)など、大変興味深い展覧会も開催されています。児島虎次郎(こじまとらじろう 1881~1929)は黎明期の日本洋画界に大きな影響を与えたことで知られている洋画家ですが、たびたび中国を訪れ、その中で呉昌碩とも深く交流しています。虎次郎は呉昌碩に深く傾倒し、自身の作品の中に呉昌碩の作風を取り入れています。また、呉昌碩作品を熱心に求めるとともに、自らの印の篆刻を依頼するなどしています。この二人は40才ほどの年齢差があったにも関わらず、大変親しく交流をし、友情を育んでいます。
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呉昌碩が長尾雨山に篆刻した印 (左)長尾甲印 (右)雨山居士 |
その他にも、書家・日下部鳴鶴(くさかべめいかく、1838~1922)、元首相・犬養毅(いぬかいつよし、1855~1932)、画家・富岡鉄斎(とみおかてっさい、1836~1924)、東洋史学者・内藤湖南(ないとうこなん、1866~1934)、書画家・篆刻家の長尾雨山(ながおうざん、1864~1942)などの依頼を受け、数多くの日本人に印を篆刻しています。また、日本の彫刻家、朝倉文夫は、呉昌碩のため、胸像を制作しています。これは現在、杭州西冷印社に設置されており、多くの方々に今なお愛され続けています。
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朝倉文夫作 呉昌碩像 | 1980年 呉昌碩墓石前での日中芸術家による記念撮影 |
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日中国交正常化30周年記念「日本蔵呉昌碩作品精粹」 |
そして、呉昌碩の影響は、彼の生きた84年にとどまりません。中国の画家・斉白石、日本の書家・青山杉雨など、中国でも日本でも、呉昌碩以後の書画は少なからず彼の影響を受けたとも言われています。そして、日本国内には多くの呉昌碩作品が残されており、日中国交正常化30周年記念として、日本に所蔵されている作品集が発刊されるなど、日中友好の代表的な芸術家としてその役割を果たしているのです。
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ライブで絵を描く呉越先生 |
呉越先生や呉越先生のお父様でいらっしゃる呉長邺氏など、呉昌碩ファミリーは、皆さん日本との関係を大変重視されています。呉越先生ご自身も数年間、日本の北九州市で、日本の愛好家たちに書画を教え、今なお日中両国において旺盛な芸術活動を展開されています。そこで今回は、呉昌碩を代表格とする「海上画派」の作品の魅力をダイレクトに伝えるため、後半は呉越先生による会場でのライブ実演。この日のために、呉越先生は絵画道具一式を用意してくださいました。今日のテーマは「凌霄花図」、初夏のこの季節にふさわしい題材です。観客の皆さんは、こぞって席を前面に移動し、真剣な眼差しで呉越先生の筆遣いを見守ります。鮮やかな黄色の花弁が描かれ、コントラストの葉の緑、蔦が画面いっぱいにからまり、揮毫をすると、こんなに素晴らしい作品ができあがりました。会場の皆さんから大きな拍手がわき上がり、シャッターを切る音が鳴り止みませんでした。
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呉越先生の揮毫 | 鮮やかな凌霄の花の作品(部分) |
今回、このようなイベントを企画したのは理由があります。日中両国でとても愛されている呉昌碩。しかし、彼の日中芸術交流に対する貢献は意外にも中国の方にあまり知られていません。このイベントを通じて、呉昌碩の足跡を再確認すると共に、彼と日本の芸術家との友情・交流を多くの中国の方に知ってもらいたい、しかもそれは呉昌碩が活躍した上海で実施するのが最もふさわしい、と思ったからです。これからも、日本人は呉昌碩作品を愛し続けるでしょう。そして、その愛を通じて、日中友好が更なる発展を遂げることを心から願っています。
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