2003年10月中から下旬にかけ、杉本信行総領事は日中平和友好条約締結25周年を記念し、「日中関係の現状と展望」をテーマに上海市内の大学4校において講演を行った。
講演では、総領事が29年前に語学研修のため北京に留学した頃の政治環境、若き外交官として1978年の日中平和友好条約締結の交渉に携わった際の回想などから説き起こし、目下の日中関係の現状に対する懸念と期待とを若い学生達に向けて率直に語った。また中国の基礎インフラ建設に大きく貢献した対中経済協力の実績についても具体的なデータを挙げて丁寧に紹介した。各大学では、いずれの会場でも収容人数を大幅に上回る学生が詰めかけ、スピーチ後のQ&Aセッションでは予定時間内に終わらないほど沢山の質問の手が挙がった。
【講演要旨】
1972年の国交正常化を経て、1978年、日中平和友好条約が締結された。1983年、胡耀邦総書記が訪日し、これを契機に日本における対中友好機運が大きく高まるとともに、日中貿易、人的往来も飛躍的に拡大した。現在、我が国と中国の関係は非常に緊密である。中国に対する我が国からの経済援助は他国を大きく引き離し世界最大で、貿易投資額は米国と並び一位、日中貿易総額は1300億米ドル、また人的往来は年延べ300万人を超えている。
現在、中国が海外から受けている経済援助の60%は日本からの援助であり、資金的には円借款とアンタイドローンが中心である。円借款は国家歳入の最高1%以上を占めていた時期があり、基礎建設予算では最高18%を占めている。中国の鉄道電化総延長の38%、港湾整備の15%は円借款によって実現した。91年に始まった草の根無償資金協力では、中国の主に貧困地域における500以上のプロジェクトを展開、300以上の学校を建設した。
89年の天安門事件発生後、各国は中国に対する経済制裁を実施、円借款にも供与中止の圧力が懸かったが、日本は中国を国際的に孤立させてはならないと他G7加盟国を強く説得、円借款を開始。91年には、海部総理(当時)が天安門事件後以降、初の先進国首脳として訪中、中国の国際社会復帰の端緒を開いた。日本は中国の改革開放政策を一貫して支持し、中国のよき理解者、よき隣人となっている。
しかし、20年来の我が国政府と民間が共同して行ってきた対中経済援助の事実を、一般の中国市民はあまり知らず、他方で、日本のごく一部の反中的な言動が、中国人民の反感を引き起こしている。こうしたことから日本国民の間に広がりつつある無力感を払拭し、日中友好のため多くの貢献を行ってきた多くの人達が更に継続して努力を続けるための意欲を持ち続けるためにも、これまでに日本政府が行ってきた対中経済協力の実績を、可能な限り多くの中国市民に正確に認識して頂きたいと願っている。
日中平和友好条約